虚無だ。虚無だけがある。『美女と野獣(2017)』

【ネタバレあり】
未見の人は気を付けてね。

 

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『フォースの覚醒』を観た時にちょっとだけ感じられたあの寂しい感覚が、100倍ほどになって襲ってきた。

待望も待望、本当に楽しみにしてた新作だし、実際観ててとても楽しかった『フォースの覚醒』だけど、しかし、”見たことのない風景”がとうとうひとつもなかったという欠点を抱えていた。代わりに“見たかった風景”は大名舟盛りだったんだけど。
つまり「やたら金のかかったファンメイド(原作至上主義ファン謹製)」とでも言えばいいのか。原作を聖典化しすぎたせいで、とうとう原作から一歩も外へ出ずに終わってしまった感じ。「実にちゃんとスターウォーズしてる作品」ではあったけど、「とんでもない光景を見せてくれるSF映画シリーズ」ではなくなっていた新作。
その超々進化版が今回の『美女と野獣』だ。

 

もうほんとすごい。もちろん悪い意味で。
“超”のつくほどのビッグバジェット大作なのに、「美女と野獣の実写化」以上にこの映画を語るべき言葉が見当たらない。
完璧な実写化だ!という意味ではなくて、この9文字の文字列以上の情報を、2時間半かけて何ひとつ伝えてくれなかったということだ。

 

 

舞台美術を一例に挙げると、1991年にアニメで描かれたあのフランスの山村や城を、とにかく写実的にリアルに再現したかったのか、それともファンタジーとしてガンガン誇張したかったのか、はたまた、演劇舞台をスクリーンの中に再現したメタ的な、いわば「ミュージカル版の映画化」を目指したのか*1、実際、そのどれでもないのだ。
とにかく最初から最後まで、この映画の舞台美術は、リアルとファンタジーの両者の間をふらふらとさ迷い続ける。どれもこれもとりあえず“実物”ではあるのだが、それ以上のものにならないまま映画は終わる。
あの『美女と野獣』を再び映像化するというのに、軸となった様式美というか、テーマのようなものが全く見えなかったのだ。

でもって、なんか中途半端にチープなのだ*2。セットに金をかけられない安い海外ドラマとか邦画がよく画面をがっつりぼやかして安っぽさをごまかすけど、あれに似た質感が画面を覆っている。冒頭、村で繰り広げられる『変わり者ベル』のシーンなんて、「こういうおとぎ話をモチーフとした寸劇風のテレビCM(一応、金はそれなりにかかってるであろうクオリティのやつ)、外資系の保険会社が作ってそうだなー」としみじみ冷める仕上がりだった。

ぴったりな作品をひとつ思い出した。
少し前にやってた実写版『魔女の宅急便』だ。

これだこれだ。チープさといいぼやけた感じといい、何より何処を舞台としているのか、どんな世界の風景を目指したのか全く読み取れない感じ、今回の『美女と野獣』のセットそっくりだ。

 

 

要するにこの映画、実写というフォーマットで作った意味というか、「実写化してこれを見せたい!」という熱がこめられた箇所が、一切、見当たらないのだ。
アニメ映画を実写化するとなれば、そこに何らかの意義、必然性があってもいいものだと思うのだが、そういったものが一切廃されている(というかたぶん最初からなかったんだろうけど)。全編にわたって、舞台美術に限らず、キャスティングも音楽も全部こんな調子だ。「実写化しました」とだけ書かれたわら半紙をただ2時間半ほど眺めさせられたも同然の、無味乾燥な再映像化だ。
(ベルは読書好き→読書といえばハーマイオニー!というだけだろ、エマ・ワトソンを起用した理由って)。

だからまあ、実写化に失敗したっていうわけではない。
如才なくとはとても言えないが、手堅く、実写化は完遂されている。これこそまさに、「普通に楽しい映画」だ。そしてそれがこの映画のまさに嫌なところで、「普通」が作品を支配しているのだ。

俺としては、この映画は現時点で、2017年ワーストだ。
進撃の巨人』や『ルパン三世』にも劣る実写化だと思う。
だって『進撃の巨人』2部作は「特撮魂見せてやるぜー!」という気概に満ちていたし、『ルパン三世』はアジアのすべての国の人が楽しめる多国籍アクションを作り上げようという意欲的な試みの産物だった。
その点、何もかもが「普通」に済まされてしまった『美女と野獣』からは、これらの年間ワースト級クソ実写邦画でさえ少しは持っている、そういった「熱」のようなものを、一切見てとることができないのだ。
代わりに結実しているのは「実写化したい!」という思いだけだ。つまりこの映画は、「実写化」それ自体に価値を感じる人のための映画であって、現実の俳優が現実の舞台で物語をとりあえず形にしていればそれで十分なのだ。
ゴジラ映画に置き換えてみれば俺もその感覚は理解できる。『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』や『ゴジラ×メカゴジラ』のように、今作同様の、超平坦で、あえて作る意味が全く見当たらない、そこら辺に浮かんでいる霞のような存在感の映画も、ゴジラ作品というだけで俺にとっては愛すべき作品だ。「美女と野獣の実写化」というだけで既に得難い価値がある、という人も同様に相当数いることだろう。
しかし実際そうではない身としては、この映画は、原作の良さを反芻するためのツールとしてしか使えなかったし、鑑賞後に残ったのは、たとえて言うなら、中島みゆきの「糸」をまるで自分が作りましたとでも言わんばかりにうっとりと歌う三文歌手のステージを観たときのそれに非常に近い嫌悪感だけだった。

多分今年のワーストだろう。少なくとも今は、ぶっちぎりでワーストだ。

 

 

唯一褒めたいのは、城の住人が本来の姿を取り戻して、「えっ!この俳優さんだったの!?」とびっくりした瞬間かな。前情報なしで観たので、オビ=ワンはちょっと予想外すぎて笑った。

 

 

今作に比べ、つくづく『ラ・ラ・ランド』の密度の高いこと。愛情の暴走していること。「俺はこれが作りたいんだ!」という熱のこもっていること。
美女と野獣』はワースト候補だけど、同じミュージカル映画の『ラ・ラ・ランド』は、いまのところ今年ベストです。
この映画を「狂気が足りない」「優等生が作った映画」と批判する声もあったけど、真の“狂気の欠如した映画”“優等生が集まって作った映画”とはどういうものかを『美女と野獣』は教えてくれたよね。

*1:わかりづらい言い方だが、『メリーポピンズ』のような、最近でいえば『ラ・ラ・ランド』のエピローグのような、ああいう画面作りのことを言いたい。

*2:「いやー、あの映画死ぬほど安っぽかったわ!」とネタにできるほどの安っぽさではない。